部屋には、汗と、淫水の匂いが、強く焚き染めた香の香りと混じり合って、腐りかけた果実のように爛熟した甘い香りで満ちていた。
 女の声がした。
 快感に咽ぶ淫らな声だ。
 途絶えることのない喘ぎは、むしろ苦痛を訴えているようでもあった。
 実際女は苦痛に耐えていた。
 底なしの快楽という名の甘美な苦しみに。
 だが、それももう限界だった。
 女は豪奢な黒髪で、またがっていた男の胸を包むように散して、息も絶え絶えに倒れ伏した。


「合格点はもらえますか?」


 涼しげな顔で少年は久恵に問いかけた。
 自分は汗だくで、淫らな液でに塗れているというのに、唯は何事もなかったかのように清冽だった。
 白い顔にも身体にも、汗の粒ひとつなく、濡れそぼった男根には、先走りの液すら流れていない。
 てらてらと光るのは、すべて久恵の愛液だ。
 指で触れば、どこまでも沈み込みそうな柔らかで豊満な胸を唯の胸に押し付けて、久恵は苦い顔で吐き捨てた。


「不合格よ。最悪だわ」


「はあ、やっぱり駄目ですか」


 汗に濡れた黒い巻き毛を掻き揚げる姿は、どんな男をも欲情させるほど色気に満ちていたが、会話はどこまでも散文的な授業のようだった。
 実際その通りだったのだが。


「子種を出さないのはいいは、西院の血は外に繋げてはならないものだから。でも、女に終わりを与えないのは最低よ。終局の見えない快楽なんて、苦痛とまったく変わりないわ。相手を気持ちよくさせて、最後に落とさなくちゃ西院の男として失格じゃないの」


「ええ、まあ、わかってるんですが、なにぶん経験がなかったものですから」


 唯の告白は驚くべきものだった。
 彼は久恵とのこの行為が、はじめての体験だったと口にしたのだ。
 初体験の少年が、経験豊富な、それも西院で一番の女である久恵をここまで悶えさせることができるなど、誰が信じるだろう。
 だが、久恵は顔を歪ませてため息をついた。


「才能だけで、修練をひとつも積んでいないというのは、困ったものね。時間までにあなたを仕上げるのは、ちょっときつそうよね」


「申し訳ありませんが、ご教授よろしくお願いします」


「仕方がないわ。西院の現最高権力者の指示だもの。私には断る権利なんてないものね。その代わり、修行に手加減はしないわよ」


「承知の上です」


 西院の現最高権力者とは久恵のことではなかったのか。
 しかし、久恵は自らそれを否定する言葉を発した。
 久恵にとって、それは唯に隠すことではなかったのだ。
 それは、唯がすでにその事実を知っていることを意味する。


 二人は、何事もなかったように、もういちど深い口付けを交わした。
 久恵の舌は肉厚で、ねっとりと唯の舌に絡みついてきた。
 対して、唯は無表情のまま、久恵の熟れた身体を抱きしめて、体勢を入れ替え、白いシーツに流れ落ちる豊かな黒髪を手で何度も梳いた。
 深い口付けが終わると、久恵のぽてっとした赤い唇の端から、透明な唾液が流れ落ちた。
 そのまま唯の唇は、流れる唾液を追いかけ、白く細い首筋を舌で舐めあげ、軽く鎖骨を噛むと、甘い声が久恵の唇から漏れた。


「重さんも最高の才能を持ちながら、ほとんど修練を受けていないわ。どっちにしても難題よね」


 吐息の合間の会話は、甘いものではなかったが、久恵はうっとりと重の名前を口にした。


「すべては僕の仕上がり次第ですか。責任重大ですね」


 仰向けになっても、少しも形が崩れない白く大きな二つの胸を軽く強く緩急をつけて揉みながら、唯は久恵の赤く立ち上がった乳首を舌で転がした。


「ああーっ……ん…うっ…ん、もっと…もっと強く激しくして!」


 片方の胸を揉み解しながら、唯の手は下の草むらを開いて、すでに濡れている花の中心へと指をすべらせた。
 少し大きめの豆を優しく転がすと、途端に嬌声が零れ落ちた。


「そう…優しく…相手を労わるように…あっ…快感を引き出すの…うっ…んん」


(あなたのことなんてどうでもいいのよ。西院の男なんて、どなろうと知ったことじゃないわ)


 流されそうになりながらも、久恵は全てがくだらないと思った。


(ただ重さんが……)


 久恵の物思いはそこで途切れた。
 唯が与える、強烈な快楽のせいではない、子供の泣き声がごく近くで聞こえたのだ。


「身支度を整えてください。朔夜くんです」


 そういう唯はすでに学生服を身につけていた。
 黒い学生服に身を包むと、唯は途端に人形のように性を感じさえない。
 今あった出来事が幻のようだ。
 久恵には状況が掴めなかった。


「えっ、朔夜さん? 朔夜さんがどうして?」


 混乱しながらも服を身につけると、唯は廊下に面した障子を開いた。
 廊下の角から、こちらへと走ってくる朔夜の小さな姿が見えた。
 朔夜は泥に塗れ、怪我をしているようだった。
 整った顔は、涙でぐしゃぐしゃになっている。


「どうしたんですか、朔夜くん」


 一瞬、はっきりとした敵意が唯に突き刺さったように見えた、しかし次の瞬間には、再び朔夜は顔を歪ませると涙を流し、久恵の足元にしがみついた。


「助けて、助けてよ久恵! お姉ちゃんが殺されちゃう!」


 必死な朔夜の言葉の意味が、久恵には理解できなかった。


「重さんが……なんですって?」


「僕が行きます。朔夜くん、案内を頼みますよ」


 華奢に見える外見とは裏腹に、力強く朔夜を抱えると、唯は走り出した。


「はっはなせ! お前なんかに頼んでない!」


「早く行かないとお姉さんが危険なのでしょう。案内してください」


 二人の声が遠ざかっていくのを、久恵は呆然と見ていた。


「……殺される。……重さんが?」


 自分で声に出して、久恵は愕然とした。
 そして、ゆっくりと笑い出した。
 その笑いは狂気にも似ていた。
 久恵は、いつまでも笑い続けた。









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