最初の犠牲者は、生徒会の副会長だった。
「――死んだ? どうして?」
「しんない。今朝、警察が行ったらしいけど、詳しいこととか誰も聞いてないんだよね。あそこの母親が半狂乱だったってのはアキが言ってたけど、近所だってだけで本人とも家族とも親しかったわけじゃないみたいだし。ただ……」
里真は声を潜めた。
アキというのはC組の高坂明子のことだろう。
たしか里真の幼馴染だったとことを思い出す。
「殺されたんじゃないかって、言ってた」
「殺され……た……?」
どうして、誰に、そう問おうとした麻琴の声は、教室に入ってきた担任の怒声に遮られた。
「静かにしろ! 席につけ!」
仕方がなく、自分の席に戻った麻琴だったが、何をどう受け取るべきなのか混乱していた。
誰もが声を潜めながらも、昨日のよりさらに落ち着かない騒がしさの教室に入った時、すぐに里真がかけつけてきて、隣のクラスの生徒会副会長の春日洋一が急に亡くなったことを教えられた麻琴は、どうしても昨夜の夢を思い出さないわけにはいかなかった。
春日が殺された。
記憶にある限り、この町で殺人など起こったことはない。
町全体が知り合いに近い環境で、殺人という凶悪な犯罪は、あまりに遠いできごとだった。
こんな事件が起きるなんて、夢にも思ったことはない。
夢――あれは夢だった。
刃物を振り上げる智恵美の夢を見たことを、麻琴は誰にも言えなかった。
何もなくても、無神経な話なのに、まして実際に殺人事件が起こった後に、冗談でもこんな話はできない。
もちろん智恵美が春日の事件に関係していると思ったわけではないが、麻琴は自分が見た夢を、ただの夢だと言い切ることもできなかった。
夢のなかでもらった薔薇が、目が覚めても実際にあった。
こんなことを誰が信じてくれるだろう。
智恵美の姿を探すと、いつもどおり、真面目そうに教師を見ていた。
(ちーちゃん……?)
いつもどおり――そう考えて、麻琴はとてつもなく違和感を感じた。
智恵美は、少し笑みを浮かべていた。
むしろ、いつもより生き生きとして見える。
「あんた、夢を見なかったか?」
いきなり声をかけられて、麻琴は反射的に身構えた。
声の主は、隣の席の転校生だった。
転校生――遠野真咲は、まっすぐ教師の方を見たまま、麻琴に話しかけてきた。
「遠野くん?」
ちょうど昨日の夢のことを考えていた麻琴だったが、真咲が何を言っているのか理解できなかった。
真咲が何故夢のことを聞くのだろう。
「見たんだな」
「だったらどうしたって言うのよ。あなた、何を知ってるの?」
麻琴が言うと、真咲のきつい顔つきが、少しためらったように見えたが、そこから聞こえる声は平坦だった。
「夢に気をつけろといっただろ。あんたのせいじゃないが、あんたが中心にいることに間違いはないからな」
「中心って何よ?」
麻琴が聞くと、しばしの間沈黙が続いた。
「わからない」
「はあぁぁぁ?」
思わず声を張り上げた麻琴は、担任とクラスメートの視線を集めてしまい、身を縮めた。
これ以上、今ここで聞くわけにはいかなくなった。
チラッと隣を見ると、何事もなかったように平静な真咲の横顔が目に入って、麻琴は心のなかで溜息をついた。
(絶対変なのはこいつの方よね)
休み時間に問い詰めることにして、麻琴は隣の真咲を睨む代わりに、担任を強く見つめた。
一時限目の数学の授業の途中で、真咲がいきなり立ち上がったので、麻琴はビクッとした。
なんだろうと思う間もなく、真咲は女教師に向かって、
「腹が痛いので、早退します」
とだけ言って、教室を出て行ってしまった。
「遠野くん! 待ちなさい! 遠野くん!」
真咲を呼ぶ数学教師の声を聞きながら、麻琴はいつの間にか自分の机に置かれていたメモ用紙を見つけて途方に暮れた。
そこにはピーベルに5時と一言だけ書かれていた。
(ピーベルって月霜にある喫茶店よね?)
確か紅茶の専門店だったはずだが、麻琴は一度も入ったことはない。
高校生には敷居の高い店だからだ。
他に心当たりはなかったが、これはここに来いってことだろうか。
学校が終わって真っすぐ行けば、ちょうどその時間には店につくはずだ。
放課後、少し目を離した隙に、智恵美は姿を消していた。
智恵美が麻琴に声をかけずに帰るのは珍しいことではないのだから、あわてることもないはずだ。
それでも麻琴は不安だった。
この殺人は、キッカケにすぎない。
なにか得体のしれもなものが蠢いているような、奇妙でおぞましい予感があった。
自分に声をかけようとしたらしい、里真の声を遮って、ごめんねと麻琴はあやまった。
里真の声を、里真の叫びを、この時麻琴は気が付かなかった。
ただ、今は奇妙な夢と殺人の因果関係が知りたかった。
転校生がその欠片でも心当たりがあるというのなら、噛み付いてでも吐かせてみせる。
麻琴はカバンを振り回しながら、繁華街である月霜の外れにある喫茶店に向かって足を早めた。
予定より早くピーベルについて、制服のまま店内に入った麻琴は、周囲の視線を感じて居心地が悪くなるということもなかった。
制服を着ているのは麻琴しかないが、どこか所作が優雅な店の客達は、他人には関心がないらしく、場違いな麻琴の存在も、異物としてではなく、風景の一部とみなしているようだった。
小学生ぐらいの女の子たちから、会社勤めらしい男女、穏やかそうな老夫婦、あとは高校生や中学生の姿もあったが、麻琴はなんだか違和感を感じた。
(静か過ぎるんだけど、ここでいつもデートしているはずの兄さんたちはどんな会話をしてるのよ)
アルコールは禁止の喫茶店で、出てくるのは12種類を超えるミルクティーと3種類のスコーンのみという商売っ気の無さだ。
完全に趣味の店だということはわかる。
つまり通と言われる人か、変人しか寄り付かない店なのだろう。
少し落ち着いて、この店が気に入ってきた自分に気がついたが、和んでいる場合ではなかったことを思い出した。
「あの、すいません! 待ち合わせをしてるんですけど、どの席に行けばいいですか?」
笑っているような目をしたマスターは、左に小首を傾げると、左手側にあった螺旋階段を指さした。
長髪を首の後で紐で括ってある店主は、無精髭さえなければもっと若く見えるだろうが、実際に何歳ぐらいなのかは麻琴にはわからない。
とりあえず2階に行けということだなと解釈して、麻琴は螺旋階段を上った。
螺旋階段を上がった先で、麻琴はひどく戸惑った。
「なにこれ……」
その空間には、何もなかった。
扉もテーブルも椅子もない。それどころか、壁と天井もなかった。
だが単純に外と言うわけではない。
何故ならそこは、どう見ても山の頂だったからだ。
下を見れば、少し下から裾野に向かって、雲海が流れている。
こんな光景は、それこそ夢にも見たことはない。
「どうやって帰ろう」
麻琴がつぶやくと、楽しそうな少女の笑い声が木霊した。
「ここか何処かとか、どうして自分がこんな目にとかは思わないのね、あなた」
「誰?」
突然現れた中学生くらいの少女は、並外れて美しかった。
同性の麻琴が見ても、目が覚めるような美貌の持ち主だ。
美人は3日で飽きるというが、この少女の強烈な個性は、10年たっても褪せそうにない。
渦巻く炎のような奔放な赤毛、エメラルドよりも深く輝く大きくつり上がった目、透き通るように白い肌は、白色人種の色素のないものではなく、黄色人種のミルク色の肌に、薔薇の雫を一滴垂らしたように優艶でなめらかだ。
生きた人形のような完璧な少女が、麻琴に向かってニヤッと人の悪い笑みを向けた。
「あなたを迎えに来たのよ」
「私あなたを知らないけど」
「これから知ればいいわ。全てが手遅れになる前に、私があなたを殺さなくてはならなくなる前に。あなたは自分自身とその血に流れる業を知らなけれならない。兄さまは、あなたに夢の話をしなかったかしら?」
「あなたもしかして転校生の妹なの?」
「遠野氷華――あるいは紅蓮と呼んでくださる?」
そう言って笑う少女の顔は、ひどく大人びていて。
麻琴は、今日は多分帰れないなと覚悟した。