その夜は満月だった。
 本来、西院で生まれた女の破瓜の儀式は、満で15の歳の満月の夜に行われる。
 重の場合、誕生日と満月が重なったために、儀式がその日と定められた。
 儀式の場は、寝所を囲んで蝋燭の明かりが灯され、部屋の四隅に見届け役の長老たちが枯れ木のように佇んでいる。
 右の障子が開けられると、白装束に身を包んだ唯が現れた。
 どこがどうとは言えないが、唯の纏う雰囲気は明らかに変わっていた。
 無機質だった人形のような表情に、陰影が深まったように見える。
 それは、どこか見るものに寒気を起こさせる変化だった。
 しばらくしてから、左の障子が開けられ、同じ白装束に、白粉をはたいて紅をさした重が現れた。
 その美貌は、未だ開花せぬ蕾のように固く、同時に不安と期待からか、匂うような色香さえ感じさせた。
 矛盾するふたつの表情は、重をより美しく見せていた。
 ふたりは無言のまま見つめ合い、めくられた布団の上に立った。
 数人の女たちが二人の衣装をほどくと、素肌になった二人を残して去っていった。
 口付けはかわさなかった。
 重を寝所に寝かせると、唯は重なるようにして、お互いの両方の手の指を絡ませた。



「重さん」



 耳元の髪をかきわけて、囁くように唯が重の名を呼んだ。
 儀式の間は無言なのが通例だ。
 だが禁じられているわけではない。
 重は咎めるような視線を唯に向けた。



「目を瞑って、僕と呼吸を合わせてください」



 言われるままに目を閉じて、何度か呼吸を繰り返すと、重は眉をひそめた。
 何かに気がつきそうで届かない。
 そんな表情だった。



「あなたの鼓動と、僕の鼓動が重なっているのがわかりますか?」



 重は小さく頷いた。
 まだ肌が触れ合っているだけだというのに、重の肌からは汗が滲んでいた。
 頬に血がのぼり、白い裸体が薄桃色に染まっていく。
 未知の感覚に怯えているようには見えなかった。
 それは、快楽を感じている女の顔だった。



「これは、何?」



「僕には今、あなたの全てが分かります。重さんにも、僕の全てがわかるはずです。感じるでしょう?」



「……光……闇……いえ、どちらでもない。でも、どちらでもある。わかる。わかるわ。あなたと私がひとつになっているのがわかる」



「指一本触れなくても、僕たちは交わることができる。これがあなたの才能。僕と同じ、西院では意味がない力です」



「意味がない……そう、伝えられない技術には意味がない。私の存在は、西院では無意味なのね」



 重の眦から、涙が一粒こぼれ落ちた。
 その涙を、唯は唇で掬い取った。



「重さんの存在は、僕にとっては意味があります」



「えっ?」



「あなただけが、僕を殺せる」



 それは、熱い告白のようだった。
 重の唇は、喜びの形に歪んだ。
 絡めあっていた指を離すと、重は唯の首に両手を伸ばして言った。



「はやく、あなたで私を満たして。そうしたら、いつか、私があなたを殺してあげるから」



 重の言葉に、唯は優しく微笑んだ。
 それは、花びらがこぼれるような笑顔だった。



「今、重さんの全てを開放します。あなたはこれで、あなた自身になれる」



 小ぶりだが、形のよい白い胸を、唯は柔らかく、確かめるように揉むと、すでに充血して立ち上がった乳首を口に含んだ。



「あぁ〜唯……ゆ…い〜」



 重の喘ぎが小さく聞こえた。
 両方の胸に舌を這わせながら、唯は左手で重の下肢の草むらをかきわけた。
 そこは、何もするまでもなく、しとどに濡れていた。
 全身を愛しむように舌で愛撫すると、唯は秘所のさらに隠された皮をめくり、小さな豆のようなクリトリスを舌で転がした。



「ひっ……やぁぁぁぁ」



 途端に重の身体が飛び跳ねた。
 蜜壷からは、透明な蜜が襞をひたすほどに流れ出していた。
 愛液に濡れた膜を、広げるように唯は何度も指を差し入れては、舌を這わした。
 重の処女膜は唯を拒絶してはいなかった。
 むしろ迎え入れるように、柔らかく広がっていく。



「深呼吸してください。重さん」



 苦しい息の中、息を吸って、重が息を吐いた瞬間、灼熱の塊が重ねの身体を貫いた。
 痛みというよりも、それはひどく熱かった。



「……息を止めないで、できるだけ、僕の鼓動を感じてください」



「や……やってみる……わ」



 唯の鼓動を感じれば、ふいに痛みは遠くに行ってしまった。
 肉体の交わりではない。
 もっと深い部分で、自分たちが繋がっていることに、重は気がついた。



(ああ、何かが満たされている)



 性の快感よりも、痛みが与える苦痛よりも、恍惚とした何かに重は身をゆだねた。
 今の重には、自分のことも、唯のことも、見届け役の老人たちの鼓動さえ感じられた。
 全てがわかる。



(これが、唯の見ている世界)



 それは、温かくて冷たく、溶け合うようでいて孤独な、光り輝く闇のようだった。
 熱い奔流が重の身体の奥に叩きつけられたとき、焼け付くような快感は穏やかなものに変わっていった。
 自分の身体から、唯が去っていく。
 それが名残惜しかった。



「儀式は成立した。新たな行者の誕生じゃ」



 見届け役の老人たちが唱和した。
 立ち上がろうとして、重は自分の身体に力が入らないことに気がついた。



「女たちを呼んでください」



 唯の言葉を、重はぼんやりと聞いて不思議に思った。
 下肢から何かがあふれ出ている。
 白い液体と、真っ赤な液体。
 赤い液体の方は、脈動に合わせて身体から溢れているようだった。



「それは、月経ですよ。あなたは今、大人の女になったんです」



 慌てた様子もなく、女たちは重の身体を拭いて、下肢に布を巻きつけた。
 新しい白装束を着せられると、重は女たちに連れられて部屋をあとにした。
 唯が反対側の部屋に行ってしまうことがわかった。
 あれほどの一体感を感じてしまった後では、離れることがとてつもなく苦痛で不安だった。
 それでも重は、それが恋だと気がつかなかった。






 早朝の凍ったように冷たく張り詰めた空気の中で、唯と重は見つめあった。
 エメラルドグリーンを基調とした重の振袖には、黒と銀の川をあしらい、羽を広げた丹頂鶴が描かれている。
 瞬きの音さえ聞こえそうな静寂の中、風に舞う木の葉だけが、現実の証に思えるが、風の音さえ消失したように思える静けさは、かえって幻想を強めている。
 広大な敷地に広がる森は紅葉の盛りで、唯と重ねの姿さえ、風景の一部のようだった。



「―――唯……」



 重の小さな唇が、微かに動いた。



 答えは、返ってこなかった。
 それでも、重は言葉を続けた。



「あなたが何のために西院に現れたか、それはもういいわ。このままあなたが去ることも。でも約束するわ。いつか、必ず私があなたを殺してあげる」



 重は、一度も振り返らずに屋敷へと戻っていった。
 いつから聞いていたのか、朔夜が木の陰から現れて唯をにらみつけた。



「ゆるさない! ぼくはぜったいにお前をゆるさないからな!」



 ふっと、優しく笑うと、唯は昨夜を置いて森の中へと入っていった。
 森の中ほどで、岩のような大男が唯を待っていた。



「よお、あのガキはあれでよかったのかよ」



「朔夜君はきっと西院を立て直してくれますよ。重さんのためにね」



「てっきり、あの小娘に惚れてんのかと思ったけどな」



「あなたには、関係ないことです」



「そりゃねーだろ。お前との契約のために、俺は依頼をけったんだぜ」



「ひとつだけ、教えてあげますよ。僕の血縁上の父親は、重さんと朔夜君の父君です」



 無表情のまま、唯は言った。



「ああ? 兄妹かよ。マジでか?」



「西院では稀にあることですが、宗主を追放するわけにはいかないでしょ。どうでもいい昔のことですよ。僕以外の関係者はもういないんですから」



「おっかねぇなぁ。俺との契約は守る気があるんだろうな」



「約束は守りますよ。僕が死んだら、あなたに僕の身体は差し上げます。いつになるかわかりませんけどね」



「いつか、俺が殺してやるよ。首を洗って待ってな」



 豊越の言葉に、唯はくすっと笑った。



「あなたに僕が殺せますか?」



 唯は一度だけ、西院のあった場所を振り向いた。



「さようなら」



 豊越と唯は、町に向かってゆっくりと歩いていった。
 もう、二人とも振り返ることはなかった。
 いつか、唯が西院に戻るのかどうか、それは唯自身にもわからなかった。







2005/6/12 完結 


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