わたしは、どうしてしまったのだろう。
世界がひどく遠い。
まるでひとりきりになってしまったようだ。
そんなことはありえないのに。
笑うと、喉から熱いものがこみ上げてきた。
咳き込む力もない口元からは、粘ついた赤い液体が顎を伝って流れ落ちていく。
ああ、血だ。
わたしの血も赤いのか。
ずっと自分の血は白いのだと思っていた。
人を止めたその時から、眷属と同じ白い血になったのだと。
流れる血が赤いことに、大きな落胆と、小さな安堵を覚えた。
すべてが、ひどく人事のように感じられる。
なにもかもに実感がなかった。
痛みもなく、熱さも寒さも感じられない。
心さえ、どこか遠く、夢を見ているような気分しかなかった。
夢だとしたら、なんと優しい夢だろうか。
ここには、誰もいない。
わたしもいない。
わたしたちを隔てるものは何一つ存在しない。
(わたしたち?)
あのひとは、どこだ?
急速に現実が戻ってきた。
同時に痛みや、肌を突き刺す極寒の大気が、容赦なく彼を凍りつかせようとするのが感じられた。
「幻術か。小賢しいな、狂える女王の忘れ形見よ」
死に向かう彼への最後の慈悲などではありえまい。
ただ、確実に彼を滅するために、あの銀の巫女姫はその身の魔力をすべて込めて、彼を縛する魔力の糸に変えて攻撃している。
国を滅ぼされた恨みか、母を狂わされた憎悪か、それならばいっそ小気味がよかっただろうに。
王女が命をかけてまで彼に挑む理由は、この腐り果てた大地の守護だという。
建前でも偽善でもなく、大地の聖王国の最後の王女が背負う義務として、あの娘は己の命をかけているのだ。
「ふざけるな」
死ぬのだな。
思った以上に彼は冷静だった。
多くの国を焦土と化し、聖帝国である双樹(そうじゅ)すら滅ぼしながら、やりたかったことはなにひとつなしとげられなかった。
滅ぼしたかったのは、彼の故郷だけ。
遠く東の果て、美しく悲しい思い出と、裏切りと絶望しかない光りと炎の聖王国。
生まれる前から彼を呼び続けた眷属たちの怨嗟の声が響いている。
彼を魔王となした白い魔物たちの断末魔の悲鳴だ。
白い血を流す、人の姿をした魔物たち。
結界はすでに山脈を覆って張られている。
魔王とまで呼ばれる自分に気付かせずに、これほど大掛かりな術をなすには、どれだけの時間と労力と、そしてどれほど大量の命が必要だったのか。
それも、もうどうでもいいことだった。
自分はもう終わる。
あの国を、自分たちが生まれた煌砂(こうさ)の王都を燃やせなかったことには悔いが残るが、もうこれで終わることができるのだ。
「あなたが……ぐっ」
(あなたがいない世界など、存在する意味がない)
死ねばあなたに出会えるだろうか。
あなたはきっと天になど昇っていない。
ならば、地獄でわたしを待っていてくれるはずだと、彼は微笑んだ。
ただひとりの半身を失った日から、彼は生きてなどいなかった。
滅びの種子を人界に蒔きながら、望んでいたのは終焉だけだった。
少しでも早く、己の半身が待つ場所へ辿り付きたかった。
それでも後を追わなかったのは、共に死ぬことをかの人に許してもらえなかったせいだった。
(最後まで残酷なひとだった。死ぬなと、あなたを失っても生きろと、わたしがあなたとの約束を破れないことを知っていたくせに)
あのひとは、どこにいるのだろう。
この結末を、彼は哀しんでいるだろうか、それとも怒っているだろうか。
だが、死者に残されたものを責める資格はない。
(わたしを残して死んだ、あなたのせいだ)
「とどめを……」
水の精霊に守護された青年が、彼の身体に深々と剣を突き刺していた。
水の聖王国の至宝。
流水の剣。
それは水を魔法と古の秘法で刃となした奇跡の剣だった。
長い旅の末に、ようやく主の下に戻った剣は、神々しくさえあった。
こんなときだというのに、よくやったと褒めてやりたくなる。
この青年に剣の修行をつけたのは、かの人だった。
(強くなった)
水煙に隠れて、青年の表情はわからない。
身体にかかる振動と痛みが、青年が震えていることを彼に伝えた。
争うことが嫌いな子供だった。
いつも泣いてばかりいた子供が、今は勇者としてここに立っていた。
剣は肺を突き刺し、背中から切っ先がのぞいている。
剣士ではなく、精霊使いと呼ぶべき青年は、この最後の決戦の地にひとりでおもむいたのだ。
すべての決着をつけるのは、互いでなくてはならなかったから。
あの小娘にくれてやれるほど安い命ではないが、あの人が愛しみ、自分たちで育てた青年に殺されるのなら、それも仕方のないことだと思える。
ほんのわずかに剣を動かせば、心の臓が切り裂かれる。
青年が迷うのは当然だった。
この子供とはもう呼べなくなった青年にとって、自分がどんな存在だったか、彼はよくわかっている。ずっとそれを忘れていたというのに。
不思議だった。
あのひとを失った時に全て失ったはずの想いが蘇ってくる気がする。
この子供が大切だった。
ふたりで守るのだと、遠い日にあのひとと誓った。
誓いは守られなかった。
最悪の形で自分は彼らを裏切ったのだろうか。
子供を置き去りにして、復讐に走った自分を、あのひとはきっと責めただろう。
(それでも、後悔はない)
たったひとつの後悔は、あのひとを守れなかったことだけだった。
それ以後にした、どんな非道も、殺戮も、彼の心にはなにひとつ影を落としてはいない。
安らかに死んでいこうとしている、今でさえ、魔王と呼ばれた自分に悔いなどありはしない。
あのひとを奪った世界を、運命を憎む意外に、存在することなどできなかった。
だから、この結末は当然のことなのだ。
魔王を殺すことで、英雄が生まれる。
この戦乱の世界を治める覇王が誕生するのだ。
あのひとこそがふさわしいと思っていた。
そのためならなんでもしようと、幼い日に己に誓ったことがある。
誓いは、何一つ守れなかったけれど。
だが、このこは強く、賢くなった。
試練を与えたつもりなどはなかったが、結局勇者にふさわしい男に磨きあげたのは自分だったのかもしれないと思うと皮肉な話だ。
それとも、この結末は予定通りだったのだろうか。
滅ぶなら、この青年の手でと、ずっと考えてはいなかったか。
本当はきっと、止めて欲しかったのだ。
わかっていた。復讐などしたところで、あのひとは戻ってこないのだと。それでも、何度繰り返しても同じ選択しか取れなかっただろう。
自分は、予言されたとおり、災いの星となった。
運命とはなんと皮肉なことか。
災いの星である彼を殺そうと狙う追っ手から、彼を守るために半身は失われ、その結果彼は魔王となった。
その予言がなければ、彼は魔王にはならなかったかもしれないのだ。
(いや、同じことか)
いずれ英雄になると予言された赤子と災いの星と予言された自分は、結局闘い合うしか道はなかったのかもしれない。
あの小娘も男を見る目はあるようだ。
最後に懐かしい表情を抱いて眠ろうと、青年を抱きしめようとした胸から、剣がゆっくりとひきぬかれ、代わりに青年のまとう水の精霊が力を増して彼の身体を包み込んでいく。
はじめて、恐怖が彼を襲った。
怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。
死なら怖くはない。それこそが望みだ。だがこれは――――――
「眠りの封印か! 星樹(せいじゅ)!!」
呪詛を込めて、魔王は叫んだ。
憎んだことなど一度もなかった義弟を、全身全霊かけて、彼は呪った。
時が癒せる絶望なら、己は魔王になどならなかった。
なぜ死なせてくれないのか。
(許さない。決して許しはしない。私を生かしたことを、必ずお前の血を引くものに思い知らせてやる。世界がお前を呪うように。この絶望が今度こそ世界を崩壊させるように)
凍りついた魔王の身体から、一滴の赤い雫が、地下洞窟の泉にしたたり落ちた。
意識が完全に途切れる瞬間、魔王は懐かしい夢を見た。
あの人の笑顔が遠くに見えた。
(……会いたい……)
それが、世界の半分を灰と肉泥に変えた魔王の最期だった。
勇者を迎えたのは、ボロボロに傷ついて薄汚れた少女ひとりだった。
「おかえりなさい」
泣き笑いの表情で、少女は勇者を祝福した。
銀色の髪は艶を失い焼け焦げている。本来の白い肌は、泥と傷で隠されてみるかげもない。
獣と魔物以外踏破は不可能だと言われる竜の顎山脈を目指すために、地元の猟師のような皮と荒縄の装備に、要所要所に防備のための金属が貼られている。野卑な格好ではあったが、女の猟師もこのあたりでは珍しくない。本来の美貌は隠されていたが、そのままでも少女は十分愛らしかった。
ただし、猟師の格好と、指全てにはめられた力の宝石や、紫水晶や金を散りばめた王家の銀環。体中に幾重にも巻きつけられた布はすべて高価な魔法の織物だが、色の組み合わせが個性的過ぎる。
彼女のために言うと、それはすべて彼女に残された先祖の遺産であり、王女と勇者の帰りを願う人々の願いの証でもあった。
だんじて、彼女の趣味が特殊というわけではない。
彼は、言葉が出なかった。
口を開けば、泣いてしまいそうで、泣く資格など自分にはないのに。
彼女の顔を見たら、なんだかもうどうしようもなかった。
勇気付けるように、少女は彼を抱きしめた。
本当に軽く。
ちょっと出かけて帰ってきた家族にするように。
「た……ただいま……ただいま。銀葉(ぎんよう)」
「ええ。おかえりなさい。星樹」
「会いたかった。きみに会いたかった」
あのひとは、どんなに彼に会いたかっただろうと星樹は思った。
自分だって、こんなに彼女に会いたかったのに。
知っていた。
あのひとが、どれほど双子の兄を愛していたのか、知っていながら、星樹は、彼の人に会いたいという義兄の願いを叶えることができなかった。
「ごめん。ごめん。ごめん……銀葉。できなかった。何もできなかったんだ」
「もう、終わったんでしょう?」
「終わった? 違うよ、銀葉。何も終わってなんかいない。ボクには終わらせる勇気がなかったんだ」
たくさんの人の期待を、失われた多くの人たちの願いを、自分は裏切った。そして、そうすることで、一番裏切りたくなかったそのひとまで裏切ってしまった。
「殺して……殺してあげられなかった。それがにい……魔王の望みだったのに、ボクが殺したくなかったんだ。殺せたのに、銀葉がくれた機会のおかげで、あのひとにはじめて勝てたのに!」
争うことは嫌いだった。
二人の義兄は、剣術と精霊使役や魔力の使い方を教えてくれたけれど、それが役立つ日がこなければいいと思っていた。
運命の勇者なんてものはいない。
彼がしたことはただの兄殺しで、しかもそれすらまっとうできなかった。
血が繋がっていなくても、もう家族といえるのは、互いしかいなかったのに。
生きて欲しかった。
どんな形でも、生きていて欲しかったのだ。
残されたもうひとりの義兄に。
それがどんなに残酷なことか判っていながら、自分は己の願いを優先させてしまった。
魔王となった彼は、死ねば輪廻の輪にも入れず消滅してしまう。
ならば、封印という形でしか、彼を留める方法はなかった。
あり得ないことかもしれなかったが、いつか、時の果てで、ふたりが出会うこともできるのではないかと、星樹は考えたのだ。
だがそれも希望的感傷にすぎない。
同じ魂に出会えたとしても、それはもう彼ではないのに。
それでも、どうしても、星樹は兄を殺したくなかった。
「世界のためになんて、私はしらない」
しゃがみこんで涙を流し続ける星樹の柔らかな若草色の髪にキスをすると、銀葉は遠く西を見つめた。
「世界樹は戻らない。日華は焼け落ち、月華だけでは実がならない」
絡み合いひとつの大樹となる日華と月華の双樹。
それは、精霊に力を与え、万病に効く奇跡の実を与えてくれる世界樹の名であり、大地の聖王国の名。そしてそれは王の名でもある。
「双樹は滅んだけど、それは、本当にあなたのお兄さんだけのせいだったのかしら」
「銀葉!」
それは、言葉にしてはならない事実だった。
義兄が姿を消したのは八年も前になる。迷いの森の奥で長く鎖国を続ける故郷では自分たちは死人扱いになっているだろう。
魔王となった兄が本当にやろうとしていたことは、迷いの森の結界を破ることだった。
そして、故郷を滅ぼすために、西の大国、大地の聖帝国双樹を支配したのだ。
三人が兄弟として育ったことを知る者は、もう自分と銀葉とその侍女しかいない。
魔王の弟として、自分がそしりを受けるのは当然のことだ。
兄を止められなかった罪は、けして消えない。
だが、それを知られたら銀葉はどうなる。
魔王の操り人形として圧制を強いた女王の娘を庇護するものは、もはや勇者に祝福を与える聖女という不確かな立場しかないのに。
「ここには、私とあなたしかいないのに、秘密を守ることなんてないのよ。この山を降りたら、私たちに自由なんてないもの。どんなに不本意でも、あなたは魔王を倒した英雄で、私は操られて国を滅ぼした挙句日華と心中した狂える女王の忘れ形見よ。笑っちゃうわね。何もできなかったのは私も同じよ。いいえ、もっと悪い」
銀葉は星樹の頭をきつく抱えなおした。
「私はあなたという英雄を影ながら支えた聖女様なのよ。真実なんて誰も欲しがっていないのよ。必要なのは、伝説」
「偶像になれってことかな」
「どっちかというと、道化ね。でもそういう茶番が必要なこともあるのよ。双樹は滅んだけど、民はまだ生き残っている。重臣だって何人かはね。いっそいなくなってればすっきりしたんだけど」
あまり冗談に聞こえない。
が、言いたいことはわかった。
疲弊した民には、拠り所が必要なのだ。
それが例え茶番劇に過ぎなくても、自分たちは与えられた役を演じなくてはならない。
せめてもの贖罪のためにも。
「でもまあ、生き残って欲しかった人も、結構助けられたでしょ。口うるさいくて悪巧みが得意な侍女とか、出世に興味がなくて、初級魔術さえ失敗するくせに高等魔術ばかり使えるはぐれ魔法士とか、ろくでもない人材がゴロゴロいるわよ」
「それは、いくらなんでもいいすぎなんじゃ……」
八年の間に知り合った面々を思い浮かべると、星樹の声が小さくなっていく。
思い当たる節がありすぎた。
考えてみれば、彼らのおかげで、強制的に銀葉も星樹も鍛えられたといってもいい。
「平時ではろくでなしだけど、乱世では得難い人材よ。もちろんこれからのね」
40年前、幼かった星樹を魅了した強い銀色の瞳で、銀葉が宣言する。
「この二十年は、確かにひどいことばかりだったけど、それは魔王のせいだけじゃなかったわ。魔王が双樹を支配する前から、帝国は圧政をしいていたもの。魔王という敵がはっきりしていたから、私たちはかえってひとつにまとまることができたのよ。このさいお兄さんの生死はどうでもいいの。あなたの精霊力も、私たちが張った結界も、私たちが生きている間には崩れないんだから」
それどころか、軽く五千年は結界が崩れる心配はない。
人柱となった双樹の神官は、全員が志願者だった。
その数二四六人。
それだけの命がこの結界に込められているのだ。
たとえ志願したものたちとはいえ、その命を奪い力となしたのは銀葉だ。
計画を発案したときから、その命の重さを背負う覚悟を当然していたのだろう。
銀葉の表情には、何事にも揺るがされない何かがあった。
星樹は呆然と銀葉を見つめた。
確かに、自分は彼女よりだいぶ年下だが、成長が遅い双樹の民である銀葉と、成人までは普通の人間と変わらない成長速度の自分とでは、見た目の年齢は彼女のほうがいくつか下に見える。
だが、やはり生きてきた経験値がものをいうのか、銀葉の言葉は感傷が欠片も見えず、あまりにも現実的だった。
「銀葉は……兄さんが憎くないの? いや、ごめん、そんなわけないよね。莫迦なこといって、ごめん」
「憎いって言ったら、どうしたらいいのかわからないもの」
「わからない?」
「ホント、ぽやーとしてるんだから。あなたにとってだって、私は仇の娘でしょうってことよ」
ぼんやりと考えてみたが、星樹にはその理屈がよくわからなかった。
だから素直に聞いたら、頭を拳で殴られた。
痛みで涙が出る。
剣で刺されたときより、こんなときのほうが我慢がきかないのはなぜかなと考えているともう一度殴られた。
「あなたの実の母は誰?」
「えっ、いや、でも!」
星樹の母は、南の聖王国流露(りゅうろ)の王妃だった。
赤子のときから東の聖王国煌砂で育ったため、未だに星樹には実感がわかない。
煌砂人は黄色い肌と黒髪に赤い瞳を持つ民で、星樹の白い肌と若草色の髪に南の海と同じ澄んだ水色の瞳とではかけ離れていたが、母親だと思っていた人が流露人で、同じような色彩の人だったし、母親の違う兄たちはともかく、妹も同じ色彩で生まれたために、煌砂の王都から逃げ出すまで、星樹は自分の素性を知らなかった。
父親は流露王ではないという。
詳しい事情は、戦乱の中で確かめることもできなかったが。
「そうか、流露を滅ぼしたのは……」
「私の国よ。あなたが生まれたばかりのときの話。私もまだ子供だったから、戦のことはよく知らなかったけど、後からよく調べたの。流露にはなにひとつ非がなかった。完全な侵略よ。これはあなたのお兄さんが魔王になるずっと前の話。あなた以外の王族は皆殺しにされたわ。流露の民は例外なく奴隷階級に落とされた。彼らは今でもあなたを待っている。魔王を倒した英雄じゃなく、王家の世継ぎをね」
「それは、それは……だけど」
東方の聖王国内での謀略により兄たちが国外追放された後、ふたりがかりで星樹を鍛えた理由を、彼らは語らなかったが、流露が星樹の本当の故郷なのだと何度も聞かされて育った。
多分、国からの追っ手に殺された長兄は、星樹を流露の王にしたかったのかもしれない。
「でも、ボクは、王位なんて望んでない。だいいち、僕は流露王の血も引いていないのに! ボクはただ―――――――」
兄たちに褒めてもらいたかった。
初恋の少女にふさわしい男になりたかった。
長兄を失ってからは、もうひとりの兄を助けようとして果たせず、兄をとめるためにここに来た。
初恋の少女と想いは通じ合いえたけれど、兄をとめることは、本当の意味ではできなかったのだ。
兄の願いを、本当はすごくよくわかっていた。
それは、星樹も同じだったから。
世界なんて、見たこともない故郷なんてどうでもいい。
ただ、ただ、許されるなら―――――――――――――
「きみといっしょにいたいんだ。ただそれだけなんだ。罪を償えというなら、そうするよ。でも、もしいっしょにいてもいいなら、側にいて欲しい。それ以外なんにも、なんにも欲しくないのに」
「私は双樹の皇女なのよ。もしかすると最後の。まああてがないわけじゃないけど、責任は私が取るべきだと思うし、その覚悟はあるつもりよ。それに、あなたにも流露王家の血はちゃんと流れてるわよ」
「え? だって……僕は不義の……」
「その事実は多分亡くなった流露王も知らなかったでしょうね。知っている人間は私とあなたと、私の侍女だけよ。他はずっと昔に死んでるもの。それと、知らなかった? 王妃は、流露王の妹だったのよ」
「……流露って……」
「どこの王家も近親婚は当たり前よ。特に聖王家はね。流露みたいに兄弟や親子で結婚する国はさすがにもうないでしょうけど。だからあなたが王になる障害なんてひとつもないわ」
はじめてあった頃から、銀葉は外見に反して本当に強かった。
氷か雪でできた人形のように、華奢で壊れやすそうで繊細に見えるのに、それは外見だけで、中身は野生児のように活力に溢れている。
そんな銀葉が好きだった。
そんな銀葉だから好きになったのだ。
「王になれと言われてもよくわからないけど、銀葉の助けになりたい。銀葉の側にいたい。それじゃ、ダメなのかな」
「これで、赤くならない私は真剣に顔面神経に異常をきたしてるとしか思えないわよね。いえ、それよりも、あなたの天然にも限度というものがあると思うのよ」
「それって断るってこと?」
今になってそれはないと、星樹は泣きそうになった。
「そんなわけないでしょう! 本当にぼんやりなんだから。全部うまくいく方法があるから、それは、戻ってから悪巧み3人衆と相談の上で、一番効果的な演出でやりましょう! 一生かかるかもしれない大事業よ。もちろん付き合ってくれるんでしょうね?」
「もちろんだよ!」
銀葉といっしょにいられるなら、他はどうでもいい星樹だった。
これが、大陸の西半分に三千年を越える大帝国を築いた皇帝夫妻の求婚の言葉であったことは、正史にはしるされていない。
数々の陰謀と乱にあけくれた英雄と聖女は、二人の息子と四人の娘をもうけ、史実の上では幸せに暮らしたということだ。
その内実が明らかにされることがなかっとしても、ずっといっしょだという二人の誓いは守らることになる。
それが、どんな形だったとしても。
それは、また別の話であるが。
「日が沈むわ」
「降りないと危険だよ。魔物が……ああ、そうか、魔物はもう」
「魔王の消失で消えたのは、白魔よ。神魔とも言われる人間が魔物の力を得たような連中。私もよくはしらないけど。白い血を流す真っ白い姿の魔物だから白魔と呼ばれてたわね。滅多に人前に姿を表さない連中だったのに、魔王の側近が全員白魔だったのには驚いたわ。魔物の数は減るでしょうけど、いなくなったりはしないわよ。人がいる限り、彼らも消えたりしない。それが法則だから」
「でも、このあたりにはもう、魔物の瘴気が感じられないけど」
「竜の顎山脈自体が強力な結界になったからよ、入ってこれないし、出て行けない。魔物が自然発生するまで、この世で一番安全な場所かもしれない」
「じゃあ、昔みたいに夜明かしする?」
「あなたが子供の頃ね。悪巧み侍女とあなたのお兄さんたちで、冒険した。本当に昔の話ね」
「ごめん。いやなこと思い出させたかな」
「いやじゃないわ。楽しかった思い出だもの。星樹だって楽しかったんでしょ? じゃ、いいじゃない」
「本当に静かだ。こんな静かな気持ちになれるなんて、もう二度とないと思っていたよ」
「わたしだって、もう恋なんて一生しないと思ってたけど」
「えっ? 銀葉っ!」
「私だって色々あったのよ。いつか話すかも。二四六人分の命の結界ね……竜の顎山脈という名は消えてしまうかもしれないわ。この場所は、呪われた聖地として記憶されることになると思う」
「本当のことを誰も知らない。そしてみんな忘れてしまう。それは悲しいことだね」
「私のお母様は本当にひどい人だった。操られてなんかなくたって、残酷で非道なことばかりする人だった。だけど、私の神官服の裏地の紋様は、全部お母様が刺繍してくださったの。ホントは刺繍なんて苦手な人だったのにね」
「火曜(かよう)にいさんは、料理が得意だったよ。針仕事は苦手で、全部僕にやらせてた。頭がいいけど不器用で。双子の火辰(かしん)兄さんのことをすごくすごく大切にしてた」
大切すぎて、道を誤ってしまったけれど。
「魔王でも、狂王でもない、私たちの家族の話をしましょうよ。誰にもできない話だけど。いつか、誰かに話せたらいいわね」
いつか、いつか、いつか。
そんな日が来ますように。
そして、五千年の月日が流れ、星樹と銀葉の物語が、伝説から神話になった頃。
残された魔王の物語はそこから始まる。
2012/7/10 改稿
2016/10/26 改稿
この作品は、高校のときに書いていた話の続編にあたります。
プロローグが、その話のエピローグ少し前になりますね。
いつか書くかもしれませんが、とりあえず、その話と世界が同じというだけで、本編は5千年もあとですし、プロローグのキャラはすべて神話になってしまいますのでもちろん出てきません。
ですが、血は受け継がれ、魂は流転し、凍結された魔王は復活しようとします。
長い物語になると思いますが、よろしければ、最後までお付き合いください。
なんとか最後まで書ききるよう頑張ります。
ずっと話をほったらかしにしてましたが、最初から書き直します。
プロローグの内容はあまり変わりませんが、その後の展開はかなり違います。
読んでくださっていた皆様には申し訳ありませんが、寝かしていた間に以前の話が書けなくなってしまったので、すいません。
いつになるか確約はできませんが、完結はさせます。
できたら気長にお付き合いください。