降りそうで降らない曇りの日が、あたしはそんなに嫌いじゃない。
白は雨が好きらしく、傘をささずによくずぶ濡れで帰ってきた。
そんな日は珍しく嬉しそうな白が見れたから、白が来てから雨も好きなようなきがした。
あたしたちはふたりとも太陽が苦手で、晴れの日は太陽が沈むまで部屋から出ることはなかった。
もともと色が黒いほうじゃなかったけど、今では肌が病人のように血の気を失って、我ながら幽霊のようだ。
同じように白い白の肌は、あたしのように幽鬼のような白さじゃなく、温めると消えてしまう雪に似た、どこか儚いキレイなものに見える。
色素のないアルビノの肌は、傷つきやすく透明に見えた。
幽鬼ってなんだっけ。
誰かに昔そう言われたけど、意味は知らない。
幽霊のことだろうか。
でも鬼って字がつくのはなんでだろう。
幽霊と鬼って同じものなのか。
どうでもいいことだけど。
誰が言ったことかも憶えていないし。
ゴミ箱の中に落ちていた子猫を拾ってきてしまったのも、多分気分がよかったからだ。
いつもは気にしない泣き声が耳について、つい覗きこんでしまったら、毛足が長くて三毛っぽいような縞のような模様の赤茶の子猫と目が合った。
最初は赤ん坊の声かと思ったけど、もしそれが子猫じゃなく本当に赤ちゃんだったらあたしはどうしただろう。
なんとなく、そのままにしておいたような気がする。
赤ちゃんは嫌いだった。
見てるとなんだかムカムカして頭が痛くなる。
耳鳴りがして、吐き気が治まらなくなることが何度かあった。
どうしてかは、考えてはいけないことのような気がするので、あまり考えたことはない。
握り返してくる小さな指────────。
それは、思い出してはいけないんだ。
子猫の名前はつけなかった。
懐の中に子猫を入れて帰ると、白が表情を消してあたしを見たけど、何も言わなかった。
結局白は、子猫に興味を向けなかった。
徹底的な無関心は、かえって白が子猫を意識していたせいかもしれない。
それも、後になってそう思っただけだけど。
弱っていた小さな子猫は、適当にミルクをやっているうちに元気になって、違法ビデオの販売事務所だったという何もない部屋を好き勝手に引っ掻いたりしていた。
新聞紙で簡単に作ったトイレを1度で覚えたから、もしかすると賢かったのかもしれない。
子猫に牛乳はダメだよと白が言ったので、ヘンな生き物しか置いてない近所のペットショップで猫ミルクというものをもらってきて猫にあげた。
白は動物にやたらと詳しい。
そのくせ、生きた動物には触ろうとしないのだ。
国籍不明の中国人っぽい店主は年齢も性別も不明で、おじさんだかおばさんだかよくわからない。
「黒ちゃんからお代なんかもらえないわよぉ」
別に親しいわけじゃないのに、擦り寄るように馴れ馴れしく声をかけてくる声も仕草も女のような気もするけど、外見はやっぱり判別しにくい。
おばさんかもしれないけど、オカマのおじさんなのかもしれない。
「今度は白ちゃんもいっしょに来てね」
「白の気がむいたらね」
「白ちゃんが好きそうな子たち、いるんだけどねぇ」
「全部売約済みなんじゃ……」
「ああ、この子達はね。でも白ちゃんの頼みなら、アタシなんでも聞いちゃうもの」
白が好きそうな子とは、元気のいい子犬や子猫のことだ。
小動物なんかも好きらしい。
でも、白の好きは、好きって言うんだろうか。
それに頼み……誰かに頼みごとをするする白なんて思いつかない。
でも、本当に欲しかったら、そのぐらい平気でやるかもしれない。
あたしにはやっぱり想像できなかったけど。
薄暗い店内には、毒のある動物しかいなくて、蛇や虫がわさわさと蠢いていた。
猫なんて一匹もいないのに、猫ミルクがあるのはどうしてだろう。
ふと疑問に思ったけど、タダでもらえるんだからどうでもいいことだった。
「氷野さんとはどうなの、最近」
「知らない。生きてるんじゃない」
「いや、死んだって話しはアタシも聞かないけどね」
「知らない。あってないし」
「あら。でもあの部屋……あっ……ううんっと……なんでもないから、そんな目で見ないでよ黒ちゃん」
そんな目ってどんな目だろう。
氷野というのはあたしの飼主で、もともと滅多に顔を合わせない男だったけど、白を拾ってからは1度も会っていない。
店主はあたしを氷野の愛人か何かと勘違いしてるらしいけど、あたしたちがそんな関係だったことは一度もない。
氷野は野良の狂犬だったあたしを拾って、放し飼いにしているだけだ。
訂正するのも面倒だから誤解をそのままにしてるけど、このあたりの怪しい店の人間がみんなあたしに不必要に親切なのもその思い違いのせいだろう。
氷野がどんな男なのか、あたしは知らない。
あたしは氷野が飼っている犬だから、彼が何かを命じたらそれに従うだろうか。
でも、彼があたしに命令することは滅多になかった。
何度かあった命令に従うことは苦痛じゃなかったから、氷野の言葉に逆らったことはない。
彼が捨てろというなら、あたしは白のことも子猫も捨てただろう。
そんなことを言う男だとも思えないけど、あたしの考えなんて何一つあてにはならないから言うかもしれない。
どうでもいいことだ。
「白ちゃんによろしくね」
「いちおう言っとく」
白が本当に好きな動物は、蛇だ。
白は、ひとりでよく店に来ているらしい。
法律に触れるものしかおいてないというペットたちは中学生の手に入るようなものではないけど、白がねだったら本当にあげてしまうかもしれないあの店主。
動物は好きでも嫌いでもないけど、毛皮のない生き物は部屋にいてもらいたくない気がする。
欲しいというなら、きっと反対はしないだろうけど。
温かい生き物を、白は時々すごく嫌がる。
そのくせ、あたしの体温を求めて張り付くこともあった。
白はあたしをよく責めた。
それなのに、あたしに何かを求めることもなかった。
何を欲しいかを言わず、白の欲しいものを与えないことを責める。
何かを求めたことがないあたしは、白が何を求めていたのか最後まで理解することはなかった。
子猫はある日あっけなく死んだ。
首の骨を折られたグニャグニャした死体を、子猫を拾ったゴミ箱に捨てた。
死体は生ゴミの日に出すのかなと思いながら、水のボトルといっしょに捨てて、それっきり忘れた。
「アレ、どうしたの」
しばらく止めていたゲームで半魚人を叩き殺しながら、火のついてないタバコを齧っていたあたしの背中に、白は感情のこもってない声で呟いた。
「あれってなに」
「あんたさ。俺のこと馬鹿にしてんの」
「猫のことならゴミ箱に捨ててきたけど、どうでもいいじゃない。もう死んじゃったんだし」
どうしてそんなことを言うんだろう。
こういうときの白は本当にわからない。
「あんなに可愛がってたのに、死んだらそれなのかよ」
可愛がってた?
そうだったろうか。
そうかもしれないけど、死んでしまったものは仕方ないとあたしは思う。
「死んだらゴミだよ。捨てないと腐るでしょう」
腐乱死体は匂いが染み付いて取れないから、始末が面倒でいやなのだ。
「あんたは……あんたは……オレが……オレがっ!」
「なに怒ってるの白?」
「もういい!」
白は一枚しかない毛布をひきずると、部屋の隅でまるくなった。
まあ、あたしはどうせ寝ないからいいかと思って画面の中の宝箱を空けると、めずらしく宝石が出てきた。
これもトラップのひとつで、攻撃力が上がるかわりに、一歩進むごとにHPが減る。
回復アイテムが滅多に手に入らないこのゲームでは、最悪の罠のひとつだ。
本当に見つかるのはマレなんだけど。
白が怒っている理由が、あたしにはわからなかった。
子猫を殺したのは、白なのに。
白は小動物をよく殺す。
そのためのナイフをいつも持ち歩いている。
店主が言っていた好きそうなものとは、蛇に食わせるためのえさで、白が殺したい動物のことだ。
白が動物を殺す理由をあたしは知らないし、聞かない。
でも、この日だけは気になった。
白は餌にするわけでもないのに、どうして子猫を殺したんだろう。
それは、あたしが氷野に言われる質問によく似ていた。
あたしは、どうして人を殺すんだろう。
白は動物を殺すけど、あたしは人間を殺す。
別に気持ちよくも悪くもない。
ただ、時々自分が止められないだけだった。
白もそうなんだろうか。
あたしたちは、よく似ている。
はじめてあたしはそう思った。
理由なんてどこにもないのに、あたしたちは生き物を殺すのだ。
いつもどおりに宝箱を空けていると、なんでか視界がぶれて歪んだ。
ゲームオーバーの音楽が流れている。
そういえば、子猫がいる間はゲームをしてなかったなと思って目を瞑る。
もうゴミ箱を覗いたりしない。
あたしはそう決心した。