野良猫と狂犬



 記憶はいつだって岸辺からはじまる。
 泣いている子供を水に押しこんだ小さな手。
 あたしを置いていなくなった誰かの背中。
 砂浜にあたしを押し付ける男たちの腕。
 優しい思い出はひとつもなく、思い出せるのは嫌な記憶ばかり。
 あたしたちが出会ったのは、汚れきって、それでもキレイな砂浜だった。


 あたしはネコを飼っている。
 白という毛並みのいい子猫は、どうみても血統証つきなのに生粋のノラのように誰にもなつかないけれど、寝床とエサをあげてるのはあたしだから一応飼主と名乗っている。
 別にかわいいとも思わないけど、拾ってきた責任とかがあるのかもしれない。
 そんなことは関係なく、気まぐれで拾ってきたらいついてしまったというのが本当だけど。
 追い出す気にもならなかったので、そのままにしている。
 ネコは好きでも嫌いでもない。
 あたしは放し飼いの狂犬だ。


「まだやるの」


「飽きたんならあっちいけば」


「あんたは飽きないの」


「さあ……どうかな」


 今時どこにも売ってないような年代モノのゲーム機は、隣の部屋に落ちてたものを拾ってきた。
 黒くてでっかい四角い箱みたいな機械で、カセットを差し込んでプレイする。
 ドット絵のアクションゲームだかなんだか知らないけど、敵を倒して宝箱を空けていくゲームで、それ以外何もない。
 これ以外のゲームをしたことがないので、比較する対象がなかった。
 死んだら終り。ゲームオーバー。
 死ななければ、いつまでも宝箱を空け続けなくちゃならない。
 隣の元住人は何を考えてこんなゲームを大事にしていたんだろう。
 考えても仕方ないのであんまり考えないけど、そういえば荷物を残して隣人がどこに消えたか知らないし、そもそもどんなヤツだったか覚えていない。
 もともと知らなかったのかもしれない。
 どうでもいいことだ。
 あたしは自分がいつからここにいるかも知らないのだから。


「黒はそのゲーム好きなの?」


「知らない」


 正直に答えると、白がちょっと怒ったようにあたしを軽く蹴った。
 でも、あたしもこのゲームをやり続ける理由を知らないので、答えようがない。
 好きなのか嫌いなのか。
 そもそもそれがわからない。
 全てに対してあたしは好きと嫌いが決められない。
 だから、わからないけど、気がつくとずっと画面に向かっている。


「アタマがおかしいんだよ」


「アンタもね」


 毎日同じような会話をしていて、なんだかずっと昔からいっしょにいるような気がするけど、白と暮らすようになったのは多分最近のことだ。
 白は中学生くらいの男の子で、ちょっと見には女の子のようにも見える。
 背が高くガリガリのあたしよりよっぽど柔らかそうでかわいらしい。
 あたしが白と呼ぶのは彼がそう名乗ったからだけど、本当の名前なんてどいうでもいいから白は白で、あたしが黒なのはあたしがそう名乗ったからだ。
 単に偶然だが、ずっと前から、あたしは黒と呼ばれていた。
 だからその場で考え付いた嘘じゃないのに、あたしがそう名乗ると、白は強くあたしを睨んだっけ。
 白がネコであたしが犬なのも、そうなんだからしょうがない。
 誰もがそういうし、あたしもそう思うから、きっとそうなんだろう。


「寝ないの」


「なんでそんなこと聞くの」


「聞くじゃん普通。あんた2日寝てないよ」


「白から普通って言葉聞くとヘンな気がする」


「もういいよ」


 こうしてると、白がそれこそ普通の子供のように見えることもある。
 普通の子供なんて知らないけど。
 きっとこんなかんじなんだろう。
 でもそれはただの錯覚だということをあたしは知っている。
 白はネコ。
 小さくて可愛くても、ネコは鋭い牙と爪を隠している獣なんだ。


 白を拾ったのは真夏の海で、あたしたちは夏の日差しから浮き上がっていた。
 あたしは黒で、彼は白だった。
 文字通り。黒尽くめのあたしと、真っ白な白。
 白はアルビノで、目だけが赤い。
 服もいつも白ばかりだ。
 だからついてきたんだろうか。
 だから拾ったんだろうか。
 よくわからなかった。


 崩れた犬のような敵を切り殺して、空けた宝箱は爆弾だった。
 HP0。
 ゲームオーバー。
 セーブもコンティニューもない。
 死んだら最初からやりなおしだけど、このゲームの最初ってなんだろう。
 あたしは1度もエンディングを見たことがないし、そんなものがあるとも思えなかった。
 ただ敵を殺して宝箱を空ける。
 宝箱の中身はいろいろで、どれも見つけたからといってたいしたことはおこらなくて、罠の方が多いというろくでもないものだ。
 本当に何が楽しくてこんなゲームをやっているんだろう。
 飽きたら止めるんだろうか。
 でもあたしは、最初からこれを面白いとおもったことはない。
 明日になったらきっと忘れてまたやってるんだろうなと思って窓を見ると、とっくに日が昇って明るくなっていた。
 白はあたしの背中によりかかったまま寝てしまったらしい。
 微かな寝息が聞こえてくる。
 白の体温をカンジながら、あたしは何日かぶりに眠りについた。
 

 記憶はいつだって岸辺からはじまる。
 だからきっと、おわる時も岸辺だろう。
 そのとき、白はどうするだろう。
 あたしは、どうするのだろう。
 夢の中で、あたしは遠い岸辺の夢を見た。
 辿りつけない遠い岸辺に、いつか届く日が来るんだろうか。
 自分がその日を望んでいるのかどうかもわからないまま、あたしは夢の中で目を閉じた。